昨日15日から、宮城県牡鹿半島の小渕浜にボランティアの為に来ています。
2011年3月11日に東日本大震災がおきましたが、その年の9月に川崎市歯科医師会として歯科の専門的支援だけではなく、一般的なボランティアも行うべきと考え50名程で行いました。
その後も継続的な支援の重要性を考え、年に一回だけですが行っています。
開始から5回は、歯科医師会の予算がおりましたので、マスク、グローブ、ボランティア保険料、多少の飲料代は支給されましたが、現在は全くの有志の集まりで行っています。
今回8回目になりますが、私は過去2回諸事情で残念ながら参加できませんでした。 今年2年ぶりに参加することができました。
本日は、地元の漁業支援組(カキの種付け用にホタテ貝を利用した器具づくり)と災害用倉庫の整理組にわかれ、私は後者でした。
震災前に廃校となった大原中学校が現在倉庫として活用されており、ブルーシートを厚手と薄手に分別後保管場所を変更したり、練炭火鉢・土嚢袋の移動、長靴をサイズ別に整理し数量の記録等を行いました。
昼過ぎにいったん作業を中止し昼食をとりに、かつて捕鯨が盛んだった鮎川の牡鹿のれん街へ移動しました。
魚関係は宿泊している「割烹民宿 めぐろ」(料理が美味しく設備・アメニティーも旅館同様です)で十分いただけるのでチャーシュー麺を食べました。昔ながらの味で凄く美味しかったです。
食後、のれん街前のデッキテラスでしばしくつろぎました。 日射しは強かったですが、吹く風は爽やかで、久しぶりの肉体労働で汗だくになった身体に心地良かったです。
その後、鮎川を拠点に震災直後からボランティア活動を継続されている遠藤太一さんに、津波が来たときの状況を当時撮影された場所でスマホでその映像をみせてもらいながら説明していただきました。
実際の現場に自分が立って、その時の映像を観ると、より恐ろしいと感じました。「この高さまで来るとは・・・。」
自然の力にはかなわないと益々思います。
ちなみに震災翌年の2012年からずっと遠藤さんにボランティア活動の手配をお願いしています。
午後は、また大原中学校に戻り 先日の台風で雨漏りがおき、一部が錆びてしまった大量のシャベル、かなテコなどを風通しの良い玄関の庇の下に移動、整理整頓しました。
錆びてしまった物は錆を落とし塗料を新たに塗り再利用するそうです。 また、これらの物品は、熊本、岡山、山形などの被災地にも送られているそうです。
震災から7年たち、まだボランティアが東日本大震災の被災地に必要なのかと問われることがありますが、継続したボランティア活動をその地で行っている方はおり、そこで使用、準備された物品は、他の被災された地区の支援にも使用されており、絆、繋がりがあるのです。
私もある程度年齢を重ね、熊本、岡山、北海道などの被災地に行く自信はありませんが、(しかしながら今回一緒に行った歯科医師会メンバーのうち3名は熊本と岡山に行っています。)せめて、はじめから関わった牡鹿半島には、復興状況に関心を持ち続けていきたいという思いで継続しています。